statement
「untranslatable」シリーズは、映画における台詞という文化的に共有された言語断片を起点に、翻訳不可能性(untranslatability)と意味生成の不安定性を批評的に検証する試みです。作者は、幼少期から強い影響を受けてきた映画のワンシーンをキャンバス上に再構成し、その上に当該のセリフを二進法(0と1のデジタルコード)へと変換したテキストを重ね、さらに英語表記を加えることで、多層的な言語構造を画面上に構築します。
ここで提示されるのは、映画のワンシーンという視覚的イメージ、デジタルコードとしての記号列、そしてアルファベットによる言語表象が相互に干渉し合うレイヤー構造です。これらはいずれも同一の発話に由来しながら、完全な一致には至らず、常に差異とずれを孕んだまま併存します。この構造は、言語が単一の意味へと収束することの不可能性を示すと同時に、翻訳という行為が本質的に抱える限界を可視化するものです。
さらに本シリーズは、可視化された言語だけでなく、不可視の言語の存在にも言及しています。二進法という形式は、現代のデジタル環境において常時作動している基盤的な言語でありながら、通常は人間の知覚の外部に位置しています。AIやインターネットが浸透した社会において、私たちはこの不可視のコードに媒介されながらコミュニケーションを行っています。本作においてデジタルコードが視覚的レイヤーとして導入されることは、そうした不可視の言語構造を表象の領域へと引き上げる試みでもあります。
同時に、映画の台詞は本来の物語的文脈から切り離されることで意味が宙吊りとなり、二進法の解読可能性や英語理解もまた受容者の知識や文化的背景に依存します。ここにおいて言語は、コミュニケーションの媒介であると同時に、不可避的に排除や断絶を生み出す制度として立ち現れます。
「untranslatable」シリーズは、このような言語の不完全性を否定するのではなく、むしろそれを創造的契機として肯定的に提示します。翻訳不可能性は欠如ではなく、意味の多義性と解釈の開かれを担保する条件であり、観者ごとに異なる読解を生成し続けます。本作は、言語の揺らぎと不可視の構造を視覚化することで、現代におけるコミュニケーションの可能性と限界を同時に問い直す批評的実践として機能しています。
